熱海の文化財を後世へ繋げるために<その2>

「熱海の文化財を後世へ繋げるために」対談の続編です。
その1については、下記のリンクをご参照ください。
熱海の文化財を後世へ繋げるために<その1>

 

熱海市が注力していること

及川:文化財の魅力を多くの人に知っていただくためにも、様々な方に来ていただき、先ずは見てもらうことが大事だと思います。近年、熱海は非常に活気があり、数年前の状況からすると本当に多くの観光客が来ていますが、市長が熱海市として力を注がれた点について伺いたいと思います。

齊藤:最近、「熱海は元気がいいね。どうしてなの?」と言われます。
6年くらい前から専属の職員を配属し、積極的に映画やドラマ、バラエティなどジャンルを問わずロケを誘致することで、熱海の新しいイメージを発信してきました。特にこの2,3年で今まで熱海に先入観の無い若い方、昭和が凄く新鮮に感じる世代の方々がやってきています。
しかし、プロモーションするにもコンテンツが魅力的かつ本物でなければ、お客様は来ませんし、がっかりしたら二度と来てくれません。
私はいつも「熱海の宝に磨きをかける」と言っているんですが、本物をきちんと整備し、それができた上でのプロモーションを心がけています。

「熱海の宝に磨きをかける」ー具体的取組みー

具体的な事例としては、熱海梅園が明治19年、約130年前に開園しました。
私が12年前に市長に就任したころ、当時の熱海梅園というのはかなり古木化が進んで、100年も経つと木も非常に古くなり、とても鬱蒼とした暗い梅園でした。

由緒があっても、これはもっときちんと磨かないといけないと思っていました。
そして私が就任早々、熱海の財政状況を市民に情報公開して財政危機宣言をしたのですが、それがメディアに意図せず載ったのです。
それを見たある篤志家の方が、熱海がこんなに厳しいとは知らなかった、助けたい、寄付したい、と声をあげて頂いたわけです。
私が就任した頃、熱海梅園は過去50年の統計の中で最低の入場者数だったのです。
更にリーマンショックと東日本大震災で一時は落ちるのですが、厳しい状況でした。

その中で、熱海の梅園は非常に歴史があり早く咲く、しかも早咲きの桜もあるんですよね。
つまり、梅と桜がこんなに同時に早く咲く場所はないわけで、それをまず売りにすべきだと考えました。ただ、今のままでは売れません。
ということで5年くらいかけて今の梅園と、糸川沿いを整備しました。糸川には「あたみ桜」という河津桜より1ケ月早く咲く桜が植わっていたのですが、当時は色々な花が混じっていて、今は58本全部あたみ桜に統一しました。

そうして初めてプロモーションをやったのです。
最初は、あたみ桜も梅園も全国的にはなかなか知られておらず、「11月になると熱海梅園の花ってもう咲くんです」、「11月にもう開花しました」と職員が市民のようにPRしました。
それが次第に朝のテレビ番組で放送されるようになりました。今では毎年こちらからもう何もしないのに、必ず朝の依田さんの天気予報のコーナーで、「梅園の梅が咲きました」と。糸川の桜も、だいたい12月下旬に咲く種類なのですが、それが恒常化して、プロモーションに繋がったのです。
リニューアル後はきちんと料金を頂くようにして、毎年の収入をまた整備投資に返還して、それを繰り返すようにしています。

本物を熱海の中で見定める

今、力を入れていることは、まず本物を熱海の中で見定めることです。だいたい観光プロモーションというのは、インバウンドだカジノだとなってしまいます。
私は基本的にはカジノはやりませんし、熱海にある今の宝をまずしっかり磨いた上で、プロモーションに力を注いでいます。
では、どこにフォーカスするか、何をするかというのは非常に大切で、私の12年間の中では、「梅」、「桜」と「ジャカランダ」ですね。この「ジャカランダ」という花は日本ではほとんど知られていないのですが、1990年にポルトガルと姉妹都市を結んだことが縁で最初2本植えたものです。

それが今12mになって咲き始めていて、紫色の花が6月に咲きます。実は6月は熱海で一番お客様が減る月なので、戦略的に使えると考えました。
宮崎の日南市には、1000本植えられていますが、街から離れた所です。それに比べて、熱海は140本くらいですが、街中に群集しています。
ここに力を入れようということで、もともと2本から始まり、その後20年くらいの間に2,30本植えまして、新たに100本くらいを戦略的に植えました。
梅・桜だと伊豆半島はどこも早咲きで、差別化はできません。熱海ならではの花はないか?と探してみると、ジャカランダこれがあるじゃないか!ということで、先ほどの篤志家の方に、7年間で5億円の投資を頂きました。

熱海復活のきっかけとは

実は熱海が復活したきっかけは、この三つの花木をきちんと整備したことがきっかけだったのです。
130年前にオープンした梅園のリニューアルも、伐採もかなりしましたが、単なる「スクラップ&ビルド」ではなく、きちんと早咲きの強みを生かしながら手入れをしました。
もともとのコンセプトや考え方を変えずに、きちんとメンテナンスをしてリニューアルしたということが原点だと思います。

その他の取組みについて

静岡デスティネーションキャンペーン
このキャンペーンは、伊豆半島を含む静岡で、来年が本番となりますが、この4月からはプレキャンペーンがスタートしています。
全国から旅行エージェントが、一泊二日で名所を巡って来年の商品をつくるのですが、静岡の中では圧倒的に伊豆半島の東海岸が参加者が多かったです。

それだけ歴史的なものや自然、とくにこの景色は世界最高だと思います。
この度、伊豆半島がジオパークの認定を受けましたが、一昨年イギリスのイングリッシュ・リビエラという所に行ってきました。ところが温泉もなく、花や植栽の多様性も日本とは比べ物にならないほどで、そうした経験から伊豆半島が認定されるのを確信していました。

熱海国際映画祭
これは初めての試みですが、全世界からコンペ応募で1500エントリーがあります。
優秀作品はイオンモールやANAの機内で上映したり、将来的に新人の登竜門のようにしていきたいと思います。

こうした様々なプロモーションも大事ですが、私はその原点に「熱海の宝に磨きをかける」という事を、いつも考えていますし、市の職員にも同じことを言っています。

 

原点は「熱海の宝に磨きをかける」

及川:非常に重要なキーワードですね。梅や桜やジャカランダというのは、もともとあったものなんですね。

齊藤:そうですね。熱海ではなぜ、あそこを梅園にしたかというと、日本で最初に温泉を使った結核の療養施設を「噏滊舘(きゅうきかん)」と言うのですが、大湯間欠泉で熱海のある意味で源泉中の源泉で、当時は自噴していましたが、隣に国立の療養施設がありました。
初代の衛生局長、明治十何年ですから、衛生という言葉がまだ日本語として無いときかできたばかりでしょうが、内務省の衛生局長の長与専斎が提唱して、ゴロゴロ療養するのではなく野山を歩く、今でいう森林浴ですね。そのために梅を植えたのがきっかけです。
だからそこには先進的な科学があったわけで、熱海は常に時代の最先端なんです。常に科学的にも遊びの文化でも、特に明治開国以降、熱海はこの地の利からあらゆることが最先端であったと思います。そうしたきちんとした歴史に基づいた梅園であり、説明ができるわけです。

及川:熱海の魅力をふまえてお話しいただきましたが、太田先生は熱海の網代のご出身だそうですね。まさしく熱海の宝をずっと見続けられてきたわけですが、今後の街づくりについては、いかがでしょうか?

太田:私は網代の生まれで漁師の息子なものですから、そういう点では落差があるんですね。郷里を出て4年ほどしてまた帰ってから、世界救世教さんの仕事を50年くらいやっているというご縁があります。
熱海の街づくりに関連しては、瑞雲郷ですね。瑞雲郷には、梅も桜も、広い場所にいくつもの庭園があって、あれだけの巨大な文化的資産があるということは珍しいことだと思います。

岡田茂吉さんは世界にこれだけの美しい場所は無いから、瑞雲郷を世界の公園にしたい、多くの方々に天与のこの景色を堪能していただきたい、とおっしゃられ、途中までされましたがお亡くなりになられた。
瑞雲郷の公園化については、将来にかけて世界の公園をつくっていくというマスタープランを、たまたま私が担当しまして、市長にもさまざまご協力いただきました。
これも当時、岡田さんが住まいとされていた東山荘の二階から見て、あの辺に地上の天国の模型を作ろう、とおっしゃった。私はそれが非常に面白いというか興味のあるところです。

イタリアのアマルフィという世界一の美しい海岸と言われているという場所があります。私は映像でしか見たことはないのですが、熱海と比べれば雲泥の差だと思っていました。
「行ってはいけない世界遺産」という本を書いた人が、熱海に行ってからアマルフィに決して行くなと書いています。実際に行った人に聞いたところ、世界一と誰が決めたのか、熱海に行かないで行ったほうがいいと言っていました。世界一という景色の良い所がなぜ熱海市の足元にも及ばないのか、これは非常に面白いじゃありませんか。
「文化」とは何か

これには文化的な価値観の違いがあり、「文化」という言葉は明治以降にできて、「Culture」はラテン語が元です。これは「文治教化」という言葉が語源でこれを縮めたのです。
「文化」というと広すぎて何でも文化ですが、「文治教化」の名前を明治政府が新しい外来語にそのようにつけたわけです。
では、「文化」とは何か? 明治以降そのような解説もありますが、統一見解はありません。
ほぼ言われていることは、人間が生まれてから後天的に学べること。それで集団が創造できる、物事を継承すること、もしくはしていることというのが定義だとされています。
文化財とはそういう物が、直訳すると「Culture」は昔の意味は「心を耕す」です。心を耕すというのは、禅語に心の田んぼを耕す、「心田を耕す」という言葉があるくらいで、これは共通のことなのです。

文化的な物に触れること=自分の心を耕すこと

結局、文化的な物に触れるということは自分の心を耕すということです。
先ほども市長がおっしゃった、簡単に言うと「自分を磨く」ということ、これが文化的な接点だということで、その「すがた・かたち」が目に見えた物にあるのが、文化財という意味です。
ということは、文化財を深く知っていくと、自分が磨かれることは勿論ですが、それがどういう意味を持っているのか、伝統的なものとは何なのか?

ちょっと想像してみていただけますか?今こうして市長と対談していますが、30年後の子どもたちがここを訪れた時、どのようにこの場所を見聞きするか、私はそういうものが文化の継承だと思っています。
手入れをすることが何十年後かに生き続けている可能性があるわけです。だから文化というものは伝わりにくいものだと言われています。
宗教や言語などは文化です。言語も勉強しないとすぐには伝わりませんし、宗教もそうです。
また、民族的なことの特色は、文化がベースにあるからこそ成立していると言えます。
私は文明というのは水道や自転車とかあのような物は文明の利器だと思っています。アマゾンへ行って水道を引いて蛇口を捻ればすぐ使えますし、自転車もすぐ乗れます。
ところが、文化はなかなか日本語を伝えようと思っても伝わらない。文化というものに対する文化財は財産ですから、財産は何かというと「すがた・かたち」が目に見える物なのです。
それをどのように次の世代に伝えるか、自分たちの孫子の世代にきちんと継承できるかどうか。つまり利活用は、自分たちがそれでより利益があがればいい、という側面だけではないと私は見ています。

自然は繁茂します、樹木は増えますから梅園とか鬱蒼としていれば、樹木の整理が必要です。
ところが、建物は増えずに、むしろ無くなってしまいますので、どのように継承していくかということが文化の継承、伝統の継承ということです。
ですからこの建物について、価値や歴史的な背景もわからず手を付け出したら壊してしまいますから、変に造り直すことはまずいということなのです。

文化はそのようなエネルギーや美しいものが存在して成立しているのです。
だから、東山荘も思いをこめて現在まで残ってきたということ、それが文化の継承で、何も理屈は要りません。
市長には、そういう意味で熱海市の優れた文化、文化財として残っているもの、文化財に登録していなくても、そういうものを昔のノスタルジアばかりではなく、よく市長が理解されて次の世代に継承できる仕組みをぜひ作っていただきたい、というのが私からの願いです。

及川:市長から熱海市の魅力ということで、力を入れているところ、太田先生から、文化を継承していく大切さをお話しいただきました。

・・・その3につづく

写真上から
・「熱海の宝に磨きをかける」と熱く語る齊藤市長
・熱海梅園
・糸川遊歩道のあたみ桜
・ジャカランダの花
・熱海サンビーチ
・文化について語る太田講師



記事投稿:名建築・みがき隊事務局 日野美奈子