苔 愛

日本庭園協会の研修で東京・本郷の瀬川邸を訪れました。
建物は文化財であり、庭は田中泰阿弥の作庭です。
田中泰阿弥の出身地である新潟県内には、素晴らしい庭園がいくつも残っています。
以前、まばゆい紅葉の季節に、泰阿弥が作庭した「貞観園」を訪れた際、あまりの素晴らしい景色に、その場を去りがたかった事を思い出します。

瀬川邸は通常非公開ですが、田中泰阿弥研究会の建築家・三鍋光夫氏の説明で邸内を巡りました。
水打ちされた苔の庭は瑞々しく、濃い緑の庭内は別世界を造りだしていました。
茶室前の飛び石など、詳細に渡る説明を聞いた後に、三鍋氏は泰阿弥の建築と作庭の両面にわたる業績を称えつつ、「泰阿弥の庭ばかりを見て来たから、泰阿弥の庭は見てすぐわかります」と熱意と愛情を込めて語ってくださいました。

三鍋氏には、時代を越えて泰阿弥が見た世界が、重なって見えているのかもしれないと感じました。
瀬川邸の庭を巡って、三鍋氏の話を伺い、私にとって同郷人である田中泰阿弥という人に、また興味が湧きました。

一方、邸内は美材で構成された空間が連なって、意匠性豊かな照明器具やガラスを通してゆらめく景色など、時代性を色濃く残した重厚な世界がありました。
なかでも、能舞台としても使用したという応接間は特長的でした。
その応接間に入り、ふと天井を見上げると自然光を取り入れたトップライトがあります。
その事を少し尋ねてみますと、ご当主の瀬川氏が「上から見てみましょうか」と仰り、玄関を出て下駄の音をカランコロンと鳴らしながら、隣接する所有管理ビルへ。
ご厚意に甘えて、数人でビルの上層に赴き敷地を見下ろすと、瓦屋根にトップライトが確認できました。
それにしても、上から見てみれば完全に四方をビルで囲われ、緑の塊の一区画だけ見事に残され、さながら時間が止まっているかのようです。
ご当主から、この地域だけ空襲を免れた事や、現在は近隣の理解とともに保存継承に取り組んでいるお話を伺いました。
瀬川邸は多くの人が想いを繋ぎ、時代を経て今日に残る名建築であると感じました。

当日、主屋の床の間には、松永耳庵の「苔愛」という軸がかかっていました。
その文字の如く、瀬川邸の世界を愛する人たちによって、末永くあの境地が守られてほしいと願って建物を後にしました。

※非公開で、撮影写真の掲載不可の為、苔のイメージ写真を掲載

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本郷瀬川邸(旧古市公威邸)

東京都文京区本郷2-35-10
明治 1887年頃
登録有形文化財(建造物)2003年

日本近代土木の祖古市公威邸として建設
主屋玄関に続き能舞台ともなる応接間、主座敷、奥に広間と三畳台目の茶室
栂や杉丸太を用いた端正な和風を基調、板床寄木張など近代要素を導入した新感覚の造形
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瀬川家住宅(旧古市家住宅) 文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/179416

登録有形文化財 本郷瀬川邸 案内ページ
http://www.shohei.co.jp/segawatei/index.shtml