清澄庭園 「涼亭」の佇まい

本年、日本庭園協会は創立百周年という節目を迎え、様々な催しが計画されていますが、その記念事業として、清澄庭園の魅力と価値をさぐる連続講演会(清澄庭園再評価プロジェクト)が開催されています。

先日、そのプロジェクトを構成する「涼亭(りょうてい)の文化財的価値」(内田青蔵 神奈川大学教授)と題した講演会に参加してきました。
先般、別の機会に龍居竹之介 名誉会長が庭園と建築が一体となったいくつかの事例について、清澄庭園の涼亭を挙げられていた事が深く印象に残っており、講演会に参加する動機となりました。

講演会では、東京都の名勝である清澄庭園の成り立ちや歴史、涼亭を設計した建築家 保岡勝也氏について語られました。
なかでも、保岡氏は気難しく人付き合いが苦手だったとする定評に対し、内田教授は氏が数多くの住宅作品を手掛け、細やかな配慮を施した設計をしていた事実から、対人的な素養をもった柔軟で繊細な人柄が垣間見られると語られ、建築家像に迫るお話しを大変興味深く聞き入りました。

涼亭は、明治42(1909)年に国賓として来日した英国陸軍のキッチナー元帥を歓待するために、庭園のオーナーであった岩崎家が建てたもので、現在は東京都の歴史的建造物に選定されています。

ジョサイア・コンドル設計の洋館をはじめ、造営当時の建物や西側の庭園が失われている中、震災と戦災をまぬがれた涼亭は、清澄庭園の歴史と魅力を今に伝える重要な遺構でもあります。
講演会では、実際に建物に入れなかった事は大変残念でしたが、 講演後に池を回遊しながら涼亭をさまざまな角度から眺めて想像を巡らせました。

創建当時の図面には、屋根に「むくり」がついていたそうで、今の直線的な屋根の造形とは異なり、庭園の中で柔らかな印象を放っていたのかもしれません。

現在の涼亭は昭和60(1985)年に全面改築され、内部は畳敷きとなり座間で景色を眺める形式となっています。
また施設として貸し切る事ができるため、講演会当日も涼亭の入口には多くの靴が並び、中からは楽しそうな賑わいの声が聞こえていました。

しかし創建時、内部は靴のまま入れるように寄木造りの床に絨毯が敷かれ、家具が仕立てられていたそうで、日本建築でありながら椅子席の視点で景色を眺める 建築的な工夫が施されていたのではないかと思います。

夏場、水辺にせり出した涼亭は、文字通り涼風を取り込み、三方面に開かれた窓によって庭園の豊かな緑量に包まれ、あたかも庭と一体となる感覚であろうと思います。

こうした空間が、長い時を経て今に残っている事は、清澄庭園の成り立ちとその価値を伝えるもので、ぜひ機会があれば、往時の涼亭の姿に思いを馳せ、現在の涼亭の魅力を体感してみたいと思います。

写真上(清澄庭園の中央に建つ涼亭)
写真中(涼亭 入口)
写真下(池にせり出す涼亭)